※下記ブログにはゴッホにとって(ゴッホファンにも)一部、短絡的と感じられる部分があるかもしれません。ご容赦ください🙇‍♀️

先日、ゴッホ展に向けて「たゆたえども沈まず」を読了しました。
私は恥ずかしながらゴッホにはあまり詳しくなく、ゴッホが自殺したことや耳を削ぎ落としたというエピソードのみ頭にある状態で読み始めました。

その状態で中盤まで進んだ時、率直にこんな感想を抱きました。

「ゴッホって、めちゃめちゃメンヘラでは???」


正直、私はゴッホと友達や家族になれないと思いました。もし自分の一言で傷つけてしまい、贈り物として耳が家に届けられたらたまったもんじゃないし、すぐに機嫌が変わって家出などされてしまったらもやもやして思い悩んでしまいます。

だからこそ、テオが途中フィンセントを重荷に感じてしまい冷たく接してしまったり、そのことに罪悪感を抱く様子に共感しました。

今でこそゴッホは誰しもが知る芸術家であり、誰が見ても確かな「成果」を残した人であるからこそ、テオの献身的な姿をある種当たり前のように感じたり、ゴッホを尊重して扱うべきと考えるかと思いますが、実際に今、身近にゴッホがいたらどうでしょうか。
私たちはゴッホに理解を示し、共生できるでしょうか?

私たちは時に、意識的にしろ、無意識的にしろ、世間一般でいう「やるべきこと」や「成果」を残していない人が不遇な状況にあったとしても、自業自得だと思ったり、どこか自分より下だと感じてしまっているような気がします。
自身の潜在的な価値観に関しても、考えさせられる作品でした。

皆さんはどのように感じられたでしょうか?
ぜひ、コメントやメッセージでご共有いただけると嬉しいです。
拙い初ブログにお付き合いいただきありがとうございました😊